大永6年、石見銀山を発見した筑前博多の商人神屋寿禎は、坑夫頭として吉田与三衛門、弟の藤左衛門、於紅孫右衛門の三人を

伴って石見銀山に入り、本格的な開発を始める。力を合わせ切磋琢磨し銀の採掘に励む三人だったが、間歩達の争いごとに巻き込まれいつしか関係が崩れ始める。弟の密告により妻お高と孫左衛門の不貞を知った与三衛門は、孫右衛門を谷に呼び出し・・・・。

 

 石見銀山の歴史の中で、実際に起こった悲劇の物語を中心に綴られた歌劇「石見銀山」。

オペラと伝統的な神楽のコラボレーションは世界で初めての試みです。